更に東へ。
いつの間にか朝。朝御飯を食べた後、義兄の娘が登場。すっかり女の子だ。倅がすっかり赤ちゃんじゃないことを驚くかと思ったけど、意外な程普通に対応していた。自然にこの小さな怪獣をいなして居た。子供同士って凄いなぁ。
昼前に最寄り駅から帰路に着く。今日はひたすら家まで東へ向かう。新幹線の切符に書かれている通りに行動すれば、無事に辿り着けるのは実にイージーだ。心配していた台風はいつの間にか日本列島を離れ、それでもその余波か風は強く生暖かく湿気ている。
途中、大阪駅で途中下車してデパ地下に寄り、昼飯を買う。久々に蓬莱の豚まんを買う。やっぱり胃もたれする。倅、昼飯を食べた後、作戦通りに新幹線の行程約半分の時間寝てくれていた。寝てくれるとカミさんか僕の席、或いは両方の席が占領されて無くなるが、後々を考えると寝てくれないよりもずっと増しだ。
そんなグースカ寝てる倅を見ていていろいろ考える。敬老の日、あまりそれらしいことをこれまですることは無かったけど、今回うちの老人達に触れてみていろいろ考えさせられることがあった。
世の中、金の切れ目が縁の切れ目だ。
親戚が多いと格好もつけたくなるし、何より欲も出るので、そういったあれやこれやややこしいことで揉める事も多い。そういう姿も見てきた。ただ揉めるのも元気があるうちだけだ。我侭を聞いてくれる相手が居るうちだけ。年取り過ぎれば老い先短いので金を使う先も無くなれば欲も無くなるようだった。そう思っていた。ところが多分最終的長生きするとそうじゃなくなる。一人残った時、あるいは老々介護となった時、よりいっそういろんなモノを金で解決しないといけなくなる。そういう社会が今すぐそこにある気がする。親戚なり親族、親兄弟は話を聞いてくれるのもタダだ。でも長生きすれば文句を聞いて貰うのは他人。他人に文句を聞いて貰うにも金が必要になってくる。これじゃ金がいくらあっても足りない。誰かが死ぬ間際はひたすら欲をかかないと自分が生きていけなくなる。いつまでも頑張らなくちゃいけない。あんまり頑張り過ぎず、最後の一人にならないように何とか健やかに過ごしたいものだと思うけど、なかなかどうして上手く行かない気がする。老後って何にしても大変。みんなどう考えて受け入れて今を生きているんだろう?
一人になって、金も無いような高齢化社会はベビーブームにおける受験戦争よりもよっぽど過酷でしんどい物が待っていそうである。だからあまりにガメつくなり過ぎる社会が形成されると米国みたいになってしま
うから、その前に哲学的な何かで日本人らしく啓蒙する老年教育をプログラム組んで推進する必要があるんだろうなぁ。そうするとまたサービス業の値段を付けるのは凄く難しいというロジックに落ち込むのだけれど。
東京駅で晩飯を買い込み、どうにか帰宅。倅は昼寝が効いているのか、上機嫌だった。旅行は大変だけど、倅は一気に逞しくなって行く気がする。
帰宅した途端、僕の鼻水が止まらない。関東に帰って来て、何かに反応しているみたいで、在庫が無限大。
| 固定リンク
コメント