あれから3年何が変わったのか?
3.11、震災から3年。実に早かったなぁって感じている。
2011年3月の日記も読み返してみる。3/10までは実にのほほんとしていた。
仕事では二度目の出向で駒場のアドラボの方にヒトiPS細胞の実験をしに来ていた。久々の大学の空気は自由で実に美味しかった。模型関連では2010年の八月大戦で総合優勝という僕の中では悲願の賞を貰ったりして、なんだかノリノリ。ただ11月に家で洗い物をしていたら、ガラスの水差しが割れて、大怪我。正直、ちゃんとくっ付くのか?ってくらい切ったが、救急車も呼ばずに、医者に行かずに2ヶ月くらいかけてなんとか治せた。くっ付いた。2010年末に倅が誕生。明けて2011年、バードカフェのおせち料理とか、アラブの春とか。あと大学の2回目の同窓会をやるということで幹事、先生方に連絡を取っていた。
そうして3.11当日。
その後、仕事の方は上記のような仕事が一切回ってくることも無く、更にはそれまでやっていた仕事を全て取り上げられて、ある意味、栄転のような形で今の部署に異動させられた。その後、その経緯、トリックを見聞きして、実に不愉快な思いをする。他人の芝は青く見えて、その青い芝に入社十数年で初めて踏み入ってみたら、実は緑じゃなくて、しかも青く塗ってあったので、もうガッカリしている。仕事の科学的なレベル的にはグングン下がっているが、馬鹿らしい事に会社の評価は高くなっていく一方だったので、実にイージーな会社だと思う。きっかけはどうあれ、あの日を境に狂い始めて、未だに狂ったままで、調整出来ていないし、そこはもう諦めた。たまに昔取ったなんちゃらで仕事を持って来ようとする奴も居るが、悪いけど、本当に馬鹿なんじゃないかと思う。何にしてもガッカリしてるだけ。
気が付けば倅も3歳。生意気にもしょっちゅう喧嘩を仕掛けて来るし、負けそうになるとカミさんにチクる。しかも娘まで増えて、その娘が僕の顔を見る度に泣く状況。お前等二人してママが大好きで良いなぁって思う。模型の方ものんびりペースでさっぱり完成品が無い...あんなに行っていたライブにも全然行っていない。
ただ人生のフェーズが変わったと思えば、それはそれで納得する。
震災はまだ終わった訳じゃない。今も続いているし、子供達の未来にも少なからず影響し続けていくだろうと思う。フェーズが変わった以上、僕やカミさんが出来なかった事は次世代に譲ってやれば良いと考えるようにしている。だから彼らがこの先やりたい事、勉学でも趣味でもなんでもちゃんとサポートしてあげれば良いんじゃないかと思う。
要するに明るい未来になれば良いんじゃないの?これから。
| 固定リンク
「普通の日記」カテゴリの記事
- とはいえ、終わりからの始まり。(2024.10.14)
- のんびりと散歩な日曜日。(2024.10.13)
- のんびりと過ごす、そんな土曜日。(2024.10.12)
- まぁ普通にガッカリするのだった。(2024.10.10)
- 全日本模型ホビーショーなので、東京ビッグサイトに行く。(2024.10.11)
コメント