午前中はアレコレ、まぁグダグダしつつ。5年生の甥っ子の宿題なんかも見ながら。算数の問題で「工夫して計算しましょう。」とか言う問題、要するにカッコでくくるとか、インド式とか、因数分解の要素で考えると理解が早いのだろうけど、どれも知らない彼にはどう教えたら良いかわからない。数学的に考え方を変えなくちゃいけないのだろうけど、そのきっかけは算数には無いように思う。「そっちの方が面倒くさいじゃん?」っと言われる。2年生の甥っ子の九九。どうにも6、7、8の算が不安定らしい。頭に浮かんだ答えに対して前の答えに6なり、7なり、8なり足してみたら、確かめ算しながら間違ってるかどうか確認出来るじゃん?って思いつつ、(これも駄目かな?)っとノーコメント。基本8とか12とかは職業病でなんぼでも数字が浮かんで来る。
倅、そろそろ自由にならない姪っ子からの仕切りに限界が来ている様子で凹みつつ、「帰ろうよ。」っと言い出す。
午後、弟が「流鏑馬祭に行くか?」っと誘うので誘われるまま、甥っ子1、甥っ子2、姪っ子、僕のカミさん、倅、娘という8名で行ってみることになった。入山瀬の駅から身延線で富士宮駅へ。乗った事のない電車に乗れる事にテンションアップの倅。いい気分転換になったようだ。午前中にあった影が晴れた模様。「ヤダ。」って言えない性格で結構溜め込む3歳児。誰に似たのか面倒くさい性格だ。
浅間神社まで歩いて行く。前に来た時よりは盛況かな?甥っ子、姪っ子達に混じって、倅にもやれそうな事はトライさせてみた。初めての金魚すくいでは1匹掬えた。そこはちょっと高いだけに大きな金魚1、小さい金魚が1おまけされて、その後、金魚の袋を3袋も僕が持って歩くはめになった。らくがきせんべいで舌をカラフルにしてみたり。りんご飴が食べ切れず後悔させてみたり。輪投げも好きにやらせてみた。テキ屋さんとの絡みもこれからいろいろ覚えていけばいいし、小遣い制になれば、そこにあるギャンブル性にも酔ってみたらいい。
カミさんは、前に来た時に買って後悔した「イタリアンスパボー」を再び発見。買って食べてまた後悔するというゲームに興じていたが、そのギャンブル性はいかがなもんかと思う。
帰りに入山瀬で下車した後、何十年ぶりかに「SL公園」にも寄ってみた。触って乗って遊べるD51って考えてみたら貴重だ。倅も大喜びだった。これも非現実だ。
SL公園もそうだし、お祭りのある浅間神社、富士宮の街もそうだが、僕が生活圏としていた時分よりも随分小さく見える。どれくらい小さいかと言うとファミコンのドラクエ1の舞台のアレフガルドにドラクエ2で辿り着いた時に感じた「ん?!知ってるところなんだけどなぁ、なんか小さく無い?」と言う感じに近い。富士宮の街自体はいくら焼きそばで学会どうこう言っても創価学会の巡礼先としての宗教都市だった頃よりも、はたまたヤ印が元気だった頃よりははるかに見劣りした寂れた感がある。それでも絶対的な位置関係はほとんど変わっていないはずなんだけど、この道の先のここってこんなに近かったっけ?っと思う。僕も随分と大きくなってはいるけど、この違和感は一生払拭出来ないかもなぁ…
夕飯はみんなで焼き肉に行く。たくさん食べたが、脂系は朝になって後悔する予感だ。これが現実だ。