何にしてもいいものであった。
娘の保育園の卒園式。朝からの生憎の雨。春の恵の雨と言えば聞こえは良いのかな。
コロナ騒動の真っ最中なので、予定していた謝恩会は中止。卒園式もどうなる?的な状態で、一部、短縮略式で参加者も保護者2名までの実施となった。
朝、自分のネクタイを選ぶ際、娘の入園式の時と流石に違う奴にしなくてはと思い立ち、当時の写真を見た。随分、大きくなったなぁ。改めて思う。この赤ちゃんは5年経ったらすっかり女の子になっていた。
娘は一人だけ先生からティッシュを何度も渡されるくらい始終泣きっぱなし。彼女にとって保育園という場所が家族の次の自分の生きていく社会として成り立っていたという事だろう。出てしまう涙はそれはそれで良いのだ。そういう姿を見てお父さんは感動するのだ。
非常事態につき、謝恩会が無くなってしまったのは残念だけど、これはこれでいずれ何らかの形でやり直せば良いのだ。また会う機会が出来たと考える。気持ちの問題だし、こういう縁でそうやってダラダラと関係を続けていく社会があっても良いのでは無いかと思う。
帰って来てみたら、外はいつの間に雪まじりの雨に変わっていた。テレビでは東京の桜の開花宣言をしていた。何が正しい事なのか、今、さっぱり分からないけど、彼ら彼女らの生きていく社会、これからの日本はそういう国なのだとしか説明できない。そう考えることにする。
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