伝統的な行事すらも変わる、その瞬間に。
もうね、何も気合いが入らないのですよ、フニャッフニャッとしております。
朝、会社に行ったら、今日、発表する資料の修正を命じられたが、取り敢えず無視して、動物慰霊祭。
そのままズバリの年中行事なんだけど、このご時世、コロナ禍なので、参加人数も絞られて、一部というか大部分がリモートで参加という、なんとも不思議な状況である。いや、準備の段階で知っていたんだけど。
あとマスクの着用について、偉い方が「マスクの着用は神様に対して失礼では無いのか?」っという質問に始まり、「神主さんに確認取れました。皆さん、マスク着用でOKだそうです。」っとこの一連の会話がなんとも哲学的である。その根底には日本人の伝統行事に対する正しい向き合い方が感じられた。リモート参加って、なんかいよいよここまで来たよ、21世紀、未来!みたいな感じがするんだけど、何か寂しいものがあるのも間違いない。
この寂しい部分というのは、カメラやビデオがデジタル化が進んだタイミングで、心霊写真の類の報告がほぼ無くなってしまった現状と同じような事かなっとか考えていた。神事に対する畏怖というのが僕の幼少期にはあるし、未だにお寺(お墓)よりも遥かに神社の方が怖い。特にお稲荷さんは怖い。逆に猿田彦とか庚申さんは実家のすぐ側にあるから全く怖く無い。日本には八百万の神様がいる訳だけど、コロナ禍の事情は神様も分かるだろう。ただ流石にデジタルの潮流に乗り切れる神様も早々いない気がしてならない。これ以降は「それでも...」の気持ちの問題、人間として大切なところが一番大切なんだろう。
その後、会議中にプレゼン資料の修正をする。どうもエクセルの修正できないバグを食ったままなので、上手く行かず、悪戦苦闘。何回か同じ事を試したら、上手く行くという、なぜそうなったのかさえも分からないけど、出来たので良しとする。21世紀にあるまじき事態で流石に神様もゲラゲラ笑いそう。
肝心なプレゼン寸前の会議室で「資料の修正の件、ありがとうございました。」っと発表者に言われたので、「時間が無かったので、午前中の別の会議中になんとか修正したんだよね。」って話していたら、「あっマイク、既にオンになってました...」とか、その会話がリモート接続中の人達にダダ漏れだった模様。コレが小さい人間だったら、なんてこったい、神は居ないのか?って思うけど、僕は別に気にして無いから良い。何より神頼みをしたところで既に出てしまったデータが変わる訳では無いのだから、まな板の上には変わりない。
そんなこんなで居室の机に帰って来てみたら、バナナが一本置いてあった。何、この謎かけ?
どうやら準備の手伝いをしたので、そのお礼として御供物のうちのバナナを一本僕にくれたらしい。有り難く頂戴しておいた。安そうなバナナだったけど、なかなかどうして美味しいちょっとスピリチュアルな味がするバナナだった。
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