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2021年3月11日 (木)

この先には何があるのか?

深夜の模型作業はちょっと止めにして、普段できていない事を少々。ダラダラしているとちっとも終わらないのだ。

今日は朝からまずまずの忙しさで、のんびりなんかしていなかったけど、結局のところ、今日は来年度の人事発表があった。僕自身には火の粉は少しも降り掛からずにあれれな現状維持ではあったんだけど、これが間接的にヤバイ状況だということに気がついた。これは実にマズイ。おそらくコロナのせいもあるだろうけど、その分、加速された何かがすぐそこに居る。逆に言えばいつでも逃げ出せる状況にしておくことが大切なのかもしれない。
人が減る、人材の育成機会が減る、これ即ち人と人が直接コミュニケーションを取らなくても商売は成り立つという事がこの一年で証明されてしまったとも言えるから、人は適材適所考えなくてもバンバン異動やすげ替えさせて使い捨てることが出来る。これは恐ろしい世の中になったなぁって思った。
自分の付加価値を判断してもらうよりは、情熱と信念か、ネゴシエーションとか、そういったところで差が付くのかもしれない。

3.11から10年経つという。もう10年経つのかと思うと時が経つのは早い。当時のブログもそのままここに残っているので、読み返すと色々と思い出されるし、今現在思っていたのと違う事実がそこにあって、またそんな記憶も「ああ、そうか。」って思い出されて、感慨が深い。
当時、僕は東大の駒場のアドラボというところに半年程、ヒトの幹細胞、iPS細胞の勉強に出ていた。結局、あれがなんだったのか、未だによく分からないし、何よりも科学はこの10年であまり進歩していないということなのかな。停滞しているとも言えるし、逆行しているところも多いし、日本という国の形が変わって行きつつあるのかもしれない。例えば、あの領域にその後10年身を置いていたとしても、何か成果があったか?って言われたら、多分、何もなかっただろうなって思う。
連鎖的に思い出すのは、やはり大学の友人の纐纈くんの事かな。予定していた同窓会がこの地震発生でどうしようか、悩んでいたところに3/31に「日本はこんなになってしまったけど、同窓会はやるよ。」って実に逞しい一言に勇気づけられたし、いろんな意味で僕は気持ちが救われたと思う。彼はその数年後に亡くなってしまうんだけど、もっと大学時代のように馬鹿みたいな話をお互いにすれば良かったなぁって後悔している。あれからも10年が経とうとしているのだ。
そうそう、もう一つ思い出した事としてはあの捏造発覚事件からも10年が経とうとしているという事実。結局のところ、僕は立場的にセーフゾーンに入り込んでしまったので、会社からは処分されないまま(間接的にされていたかもしれない)、なんか有耶無耶のまま、今に至っている。中途半端な立ち位置だったのが、逆に命拾いしたんだろうなぁって思う。捏造しても良い事無いし、上手くいかない事を上手くいくように見せるような、格好つけても良い事無いのが教訓。手段を選ばず、社内で偉くならない選択をする、この生き方が唯一正解だったのかな。
何にしても歯車は徐々に狂い始めているのは間違いないし、そんな10年経った今がそこにあるのだ。

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